さようなら厄年

 今日は5月31日。おかげさまで明日、誕生日なので43歳に。

数え年で計算するとずれるのかもしれませんが、私にとって

40歳、41歳、42歳はまさに前厄、本厄、後厄でした。

 これまでの人生の中で、一番精神的に辛い三年間だったような

気がします。長くなるかもしれませんが、少しだけ振り返って

みようかと思います。お付き合いください。

 先ず、40歳の誕生日を迎えた途端、一週間もしないうちに入院。息が

出来なくなる症状が度々あらわれ、一晩中苦しむことも。最終的には

カテーテル検査。血管の中に管を入れていくのはとても痛かったです。

その後も原因不明の嘔吐が続き緊急入院したり。とにかく、元気だけが取り柄

だった私が一年間のうち三回も入院することになりました。ソフトボール

少年団では、今までの中でサイコーなチームを作り上げ最後の大会に挑み、

誰もが最終日まで残る予想をしていたのに私の采配ミスでまさかの初日敗退。

子供たちや保護者のみなさんには申し訳なく、放心状態の日々が続きました。

その後も次から次へと兼ねては起こらないことばかり。本厄の時には、長男が

修学旅行先での大骨折。大阪から強制送還。今思えば、私の厄を背負ってくれた

のでしょうか。高校生活はソフトボールにかけてきたのに最後まで復帰できず。

かわいそうでした。後厄に入り、私はキイロスズメバチ9匹に襲われ心臓が

止まりそうに。しかも同日、少年団の西日本大会出場記念のタオル販売売上金

6万円が入った財布を盗まれました。ありえない。極めつけは、この前の選挙が

始まる前。こんなことがあるのだろうかと思うくらい、今まで親しくさせて

もらっていた仲間たちに裏切られ。それが単なるものではなく、何度も何度も

背後から突き刺されるような。初めて心をグサッグサッにされました。

書き込みきれませんが、この3年間は私にとって壮絶なものでした。ですが、

こんな私を救ってくれたのは、たくさんの別な仲間であり妻であり。今、生きて

いることが信じられないくらい。みなさんには感謝です。今回の経験で、

改めて自分の人生を振り返ったりどう生きるべきかを考えさせられました。

私がずっと人の為に生きるという事を唱えてきましたが、それは決して間違い

ではない。しかし、・・・。勉強になりました。

 私が幼い頃、辛い生活を送った時期は私の父がちょうど40歳から42歳の時

でした。忘れもしません。親が離婚したのち、私と父は二人きりの生活。

そこからみじめで極貧な生活が始まりました。だから、厄年ということには

気を研ぎ澄ましていたのですが、こんな結果でした。

 やっと42歳にさようなら。なんかウキウキしてきました。これからも

市民の為に、自分を助けてくれた仲間や妻、家族の為に精一杯生きて

見せます。もちろん、この3年間のピンチをこれからの人生のチャンスに

生かしていきます。助けてくれた仲間のみならず、みなさんありがとう

ございました。人としてひと回り成長することを誓い42歳から脱皮します。

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↑本日帰宅すると、親愛なる375と925さん、〇〇〇からの

プレゼントが届いていました。私の好きな赤いTシャツと

おしゃれなネクタイ。本当にありがとうございます。

嬉しいです。大事に使わせていただきますね。

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