史上初、ボイコット事件

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この写真には思い出がいっぱい。鹿児島工業野球部、史上初のボイコット事件。

念のためですが、私は下段の右から2番目。撮影場所は鹿児島県立野球場周辺。

今日は時間があるので少し長くなりますが、当時の事件について書き込みます。

先ずは、当時と今では部活のスタイルや先輩後輩の在り方がが全く異なることを

どうかご理解ください。それでは始まり始まり。

時期は私が工業高校1年生の時の夏休み。今、思い返せば8・6水害の前でしょうか?

3年生が夏の最後の大会に敗れ、新チームが形成。当時の2年生が主体のチームに。

事件は朝早く1本の電話から始まりました。電話の相手は古仁屋出身の寮生ゆきお。

ゆ『たいすけ、俺、島に帰るわっ』 た『夏休みだから帰省するの?』

ゆ『昨晩、寮の中でいろいろあって一晩中・・・』 た『なんよそれ(# ゚Д゚)』

た『島に帰るな、うちに来い!!』。その内容は卑劣なもの。当時、寮生の中に

新チームのキャプテン。そして、同級生もたくさんいたのですが、2年生と

1年生が一緒になってゆきおを気合い入れというかなんというか。理由のひとつと

しては、寮生以外(私を含む)の1年生と仲が良いということ。自宅に来たゆきおから

昨晩起きたことを全て聞きました。その日は部活でしたが、ゆきおは家に泊めさせる

ことに。部活も行かなくていいからと。かなり凹んだゆきおとは真逆の私。殺気立って

部活へ。先ず、寮生の1年生をひとりひとり・・・。それを見ていた寮生以外の1年生が

『たいすけ、どうしたの?』。理由を話すと、『許せんな、たいすけと一緒に・・・』。

私の計画としては、先ず寮生の1年生を。その後、新キャプテンを含む2年生を。

これが工業野球部史上初、ボイコット事件。自分もそもそも2年生の理不尽さに疑問を

感じていました。厳しいのと理不尽は違いますからね。当時、先輩後輩が厳しい時代。

先輩に歯向かうなんてもってのほか。行動を起こすからには、野球部に残る気持ちは

一切ありませんでした。ゆきおを虐めた仇を。この計画に賛同してくれたのは、私以外に

8名も。嬉しかったですよ。だって、みんな工業野球部で野球をやりたいと言って入学し、

夏までの厳しい練習に耐えてきた仲間たち。4月の入部当時、1年生だけで約40名~50名。

以前にも紹介したかもしれませんが、3年生の最後の大会が終わる7月まで毎日10キロ走と

筋トレメニュー。7月までにどんどん脱落。その時点で20人くらい残っていたと思います。

そこまで頑張ってきたのに、ゆきおのためにたいすけと一緒に闘うと。もちろん、みんなも

野球部に残る気持ちは一切なし。翌日、計画決行。練習には行かずボイコット。寮に電話を

して1年生を呼び出し山へ。謝罪をさせ。その後、2年生と直接電話。先輩相手に大口をたたく。

た『お前ら絶対に許さん、公園に出てこい!!、来なかったらこっちから寮に向かう』

先輩達『来いよ、来いよ』

一応、先輩達が来ることを期待して公園で待つことに。中々、来ず。しびれを切らせて

そろそろ寮に向かおうかとしていると、2台の車が。今でも覚えていますが警察ドラマの

ような停車の仕方。監督さんとコーチの車でした。結局、私達は9名は学校に連行。監督と

コーチに・・・。事情はわかってくださり、寮生の1・2年生は指導。私たちも部活を辞め

させられることはなく残って頑張れとのこと。もちろん、ゆきおも。その後、先輩方とは

仲良くなることはありませんでしたが、寮生の同級生たちとは和解。学校の体育館での説教

タイムの時、監督に言われたこと。『前代未聞だ!!』。この言葉は今でもよく言われますがよ。

昨年も私がちょっとだけ反発した先輩議員に言われました。『前代未聞』、嫌いではありません。

長くなりましたが、仲間の為に仲間と一緒になって闘った史上初、ボイコット事件の概要でした。

↑の写真はボイコット事件を決行する前夜。もう一生着ることはないユニフォームを着て鴨池の

県立球場で記念撮影をしようと提案。みんな覚悟を決めて写真撮影に臨んだ一枚でした。今思えば、

まるで特攻兵が特攻する前夜の集合写真のようですね。そうそう、付け加えておきますが結局、

私たちの時代に主力として活躍したのは、このボイコット事件に賛同した仲間たちでしたよ。

忘れられない暑くて熱い仲間と闘った夏の日の思い出の写真です。この写真は今でも大好きです。

野球部、最後の夏に私の姿はありませんでしたが。この話はまた後日にでも。

 

 

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