市役所(団会議、議会運営委員会、議会運営ワーキンググループ)
新聞配達~苦労話編
居酒屋等でアルバイトを頑張っている
学生さんを見ると感心だなぁ~と。な
んか応援したくなります。私自身もこ
れまで色々なアルバイトをしてきまし
た。新聞配達、皿洗い、居酒屋での接
客、土方等々。私のアルバイト人生は、
高校生時代から。付き合ってもいない
女の子(現在の妻)の家計が大変というこ
とを聞き、どうにかしてあげたいと助け
たい一心で、新聞配達とファミリーレス
トラン(サンデーサン)の皿洗いの申し込み
に行ったのが始まり。夏休みには、土方
のアルバイトも。当時、8・6水害の後
だったので、色々と大変な現場ばかり。
初日に一日中、スコップで生コンをはね
る作業。生コンは重量があるので大変。
手は豆だらけに(-_-;)。生コン車がきて生
コンをこぼし。それをはね終わる頃には
また生コン車が次々に。同じ日に入った
アルバイトの子は翌日からはアルバイト
に来ませんでした。そんなきついアルバ
イト経験もありましたが、私が個人的に
一番きついと思うのは、なんと言っても
新聞配達。ご想像がつくように、朝が早
い、睡眠時間がない、雨が降ろうが雪が
降ろうが、台風が来ようが配達しないと
いけない。そこで、新聞配達の経験がな
い方々に、新聞配達あるあるというか私
の経験話をご紹介しようと今週は目論ん
でおります。つまらないでしょうが、新
聞配達員さんのご苦労を少しでも知って
いただければと(^_^;)。先ず、新聞といえ
ば、チラシ。新聞にチラシを入れることか
ら始まります。チラシは日中に、パートの
方々が、何種類かのチラシを機械にかけ、
セットに。そのセットを一部ずつ手で新聞
に挟み込んででいきます。これも一苦労。
更に大変なのは、雨の日(-_-;)。チラシを
入れた新聞をこれまた一部ずつ包装の機械
に通し、ビニール袋詰め。これまた時間が
かかり(^_^;)。そこまで終わってからやっ
と配達に行けるというような流れです。私
は結局、高校時代から社会人になっても新
聞配達をしていたのであしかけ十数年のキャ
リア。今日は苦労話から。高校時代は、自
転車で配っていたので、一度に運べる量が
少なく(-_-;)。しかも、新聞の重みで少しで
も変な停め方をすると、自転車が倒れ、新
聞が散らばり。社会人になってからは、ス
クーターにたくさん詰めるようになりまし
たが、前かごに満杯、後ろかごに満杯、足
元に山積。なので少しでも油断するとバイ
クが転倒し、これまた新聞が散らばり(-_-;)。
夜中の暗い中、新聞を拾い集めるのは苦痛。
苦痛といえば睡眠時間がないことが。社会
人になり、一日平均の睡眠時間は3時間ぐ
らい。眠たさ故、スクーターに乗りながら
居眠りも多々。壁に激突したり転倒したり。
今になれば、よく大怪我をしなかったなぁ
と。ビックリするのは、スクーターを停め、
新聞を持ってポストに向かう途中、歩きな
がら寝てしまい、側溝に落ちたことも(^_^;)。
その他、あまりにも眠たく雨の降る中、階
段のところでちょっと寝てしまったり(^_^;)。
こんな感じでした。もちろん、お昼の仕事
は誰よりも頑張ってました。新聞配達をし
ているから仕事はテゲテゲと言われたくな
いし、そんなことがあってはいけないし。
しかしながら、振り返ると信じられないよ
うな新聞配達時の出来事。今、思えば命が
あることが不思議なくらいです(^_^;)。そう
そう、睡眠時間が短かすぎて、睡眠中の夢を
見なくなるというのもあるある。睡眠中の夢
は見れなくなったけど、仕事というか生きる
ことを頑張ってきたので、幸せな家庭を築く
という夢はある程度、実現できたかな?苦労
話はまだまだありますが、今日はこの辺で。
また、明日(^_^;)。
ホワイトデー
本日はホワイトデー。バレンタインデーの
お返しはちゃんとされたでしょうか?私は
昨日中にお返しを済ませました。おひとり
だけお会いできなかったのでまた後日にで
も。ビックリしたのは次女。手には大小4
袋ぐらい持ちながら帰宅。バレンタインデー
の時は、頑張っていましたもんね(^_^;)。
たくさんのお返しをいただき大変喜んでまし
た。中には、男子なのにお母さんと手作り
お菓子を。普通科高校の生徒とは違い、ほ
とんど勉強をしない鹿児島工業の次女。勉
強をしない分、バレンタインデー等のイベ
ントや部活では仲間と大いに楽しんでくれ
れば。多分、食べきれないので家族みんな
でいただこうと思います。ありがとうござ
います。
卒業~合格発表
公立高校の入試結果発表でしたね。前日
は、中学校の卒業式。中学3年生の子を
持つ保護者にとっては、卒業式が終わり
ホッとするのもつかの間、合格発表まで
のピリピリした時間が(-_-;)。私もおかげ
さまで、何回も経験させていただきまし
たが、あとは次男が卒業する時だけに。
中学3年生の子を持つ保護者のみなさ
ま、義務教育課程の修了、本当にお疲れ
様でした。特に、中学生の期間は、子ど
もたちは反抗期や思春期を迎え、ケンカ
の絶えない日々が続いたのでは?子ども
たちにとっては、それが成長の証でもあ
ります。逃げずに真正面から向き合えた
なら必ず子どもたちは真っ直ぐに育って
くれることでしょう。子どもたちの更な
る成長に期待してください。とにかく、
それぞれ頑張った子どもたち、保護者の
みなさんおめでとうございます。お疲れ
様でした。
約40年間、お疲れ様でした
本日、委員会審査が終了しました。議員、
職員、お互いの立場で新年度予算に対す
る審議に真摯に向き合い。令和7年度が
安心安全に暮らせる鹿児島市であります
ようにと想いを共有できたと。さて、本
日は、委員会所属の議員が発起人となり、
3月末で退職される職員の方々の慰労会。
それぞれ、退職にあたり、これまでの市
職員生活の思い出やご苦労などをご披歴
いただき。話をお聞きしながらジーンと。
みなさん、それぞれ約40年もの間、市民
の福祉の向上の為にご尽力いただいたこ
とに感謝。公務員というと良いイメージ
しか思い浮かばない方もおられるかと思
いますが、理不尽との闘いも多々だった
ことと。私たち議員と同じく、家族も犠
牲にしながらだっただろうなぁ~と。今
後は、市政のことも見守りつつ、しっか
りと家族サービスに努めていただければ。
長年に渡り、大変お疲れ様でした。当局
のみなさんも委員会審査、お疲れ様でした。
無事に終わって良かった、良かった(*^▽^*)。
3・11
委員会審査2日目。審査は明日までの
予定です。さて、本日は東日本大震災
から14年。委員会審査中ではありまし
たが、午後2時46分には全員で黙祷を
捧げました。最近、YouTubeで当時の
映像が良く流れますが、8・6水害で
被災した私たちとは、全然比べものに
ならない被災状況。津波が街をのみ込
んでいく映像を観ると、胸が締め付け
られます。あれから14年が経ち、街は
復興しつつありますが、家族や知人を
失った心の傷は全く癒えないことと察
します。私たちには何もできませんが、
黙祷を捧げ、哀悼の意を表すること。
そして、穏やかな日常に有難く感謝し
ながら、一生懸命生きること。改めて
色んな事を考えさせられる3・11で
した。被災地のみなさんが一日でも早
く、心穏やかな環境を取り戻し、幸せ
な日々を送られますように。