寝不足での辻立ちでしたが、昨晩の素敵な
出逢いのおかげでなんか元気(*^▽^*)朝から
絶好調でした。話は変わりますが、少年団の
監督を長く務めさせていただきましたが、こ
れまでも幾度と紹介したように子どもたちの
成長を感じるたくさんのドラマやエピソード
が脳裏に焼き付いています。今日は、初めて
監督になった時のチームのいちエピソードを。
私が監督になる前は、玉江ソフトは地区大会
で中々勝てず。地区大会で優勝なんて十数年も
なく。そんな玉江ソフトがどんどん強くなり、
年に3回ある地区大会で3回とも優勝するチーム
に。もちろん子どもたちが厳しい練習を乗り越
えたのもありますが、先ずは挨拶や道具並べを
ちゃんと出来るように。当たり前のことを当た
り前のようにやっただけ。併せて、チームの合
言葉であった『仲間を信じて心をひとつに』を
実現実行するために、常日頃から想いやりを
持って練習に取り組み。他のチームの指導者
から羨ましがられるチームとなりました。で、
そんなチームにアクシデントが(-_-;)。地区大
会を優勝し、県大会出場が決定。県大会で勝ち
上がれば九州大会も。十数年ぶりの県大会と
いうことで、練習も更にヒートアップ。県大会
が数日後に迫った時に、エースの子が遊んでい
る時にまさかの利き手の指を骨折(-_-;)。盛り上
がっていたのも一気に⤵⤵⤵。その時に子ども
たちとじっくり話をしました↓↓↓。
監督『県大会に出場できるのは誰のおかげ?』
子たち『みんなでひとつになって頑張ったから』
子たち『エースの〇〇が頑張ってくれたから』
監督『そうだねぇ~、で県大会どうする?』と
エース不在の子どもたちに問いかけ。
監督『エースのおかげで県大会に出場できたなら?』
子たち『県大会を勝ち上がってエースの〇〇を』
子たち『絶対に九州大会に連れていく』と。
待ってましたその応えを。それからというもの
いちだんと結束が深まり。エースを九州大会に
連れて行くためにと、毎日、全員が私の家に通い
ティーバッティング練習。二番手ピッチャーは
ピッチングを。そんな熱い子どもたちは見事に
有言実行。エース不在ながらも県大会で勝ち上がり
何十年ぶりかの九州大会出場を決めました。前置き
が長くなりましたが、このチームにいた教え子の
エピソードを。私の厳しい練習に毎日のように涙を
流す子がいました。いわゆる泣き虫というかプレー
自体も弱虫なところが散見される感じ(-_-;)。そん
な子がエースが骨折してからあまり涙を見せなくな
り。しかも、その子の父から聞いたのですが、父と
一緒にお風呂に入っている時に、
弱虫『なんでエースの〇〇が骨折したのだろう?』
弱虫『神様はなぜ?みんなが困るのに(-_-;)』
弱虫『僕がエースの〇〇代わりに骨折すれば』
弱虫『良かったのに。みんなが困らなかったのに』
このやり取りがあったということを聞いて私は
大号泣しました。あんなに泣き虫で心も弱かった
子が人として芯が強くなったなぁ~と。成長に大
感激でした。その子は、卒団してから中高生時の
部活動ではキャプテンを命じられたそうです。さて、
今朝の辻立ちの時に、好青年が私の前で立ち止まり↓。
好青年『米山さん』
私『お~っ』。なんと↑で紹介した教え子でした。
教え子『就職で今日、東京に飛び立ちます』
教え子『米山さん、頑張ってください』と温かい
お茶を差し入れに来てくれました。
私『東京に行っても世のため人の為に頑張れ』
私『ありがとうね』とガッチリ握手をした時に
大号泣しました。飛び立つ淋しさ、立派になった
姿に感激、鹿児島最後の日に会いに来てくれた
嬉しさ。たくさんの想いが大粒の涙で溢れ出て。
いつまでも手を放したくなかったです。立派に
なった後ろ姿にまた涙。辻立ちの挨拶を再開する
も号泣しすぎて声もです。暫くの間、号泣タイム
でした(^_^;)。通おられる方は心配されたことで
しょう。号泣は教え子のせいですから(^_^;)。
大号泣する監督から立派になった教え子へ。
東京でのご活躍を心からご祈念申し上げます。
また逢う日まで。