29年前の6月。当時、高校2年生だった私。
鹿児島工業野球部に所属。3年生の最後の大会
前に監督さんに呼ばれ。
監督『新チームのキャプテンはお前でいく』
太『ありがとうございます』
監督『お前が思う副キャプテンを決めておけ』
太『はい、わかりました』
こんなやり取り。私より上手な選手がいたのに
キャプテンに指名していただいたことがとても
嬉しかったのを鮮明に覚えています。確かに
毎日の練習で誰よりも声を出し、誰よりもバット
を振り、誰よりも泥まみれだったですが(^_^;)。
日頃はあまり語ることはない監督さんが私を新
キャプテンとして目をつけてくれていたなんて。
さて、ここからが普通じゃないのが私(-_-;)。当時、
ひもじい生活をしていた彼女(現妻)の為に、部活
をしながら夜にファミリーレストランの皿洗い、
夜中には新聞配達をしていた私。監督に指名され
て、自分の中で葛藤が始まり。誰よりも頑張って
いたからキャプテンに指名されたと思うけど、
キャプテンになったらもっとチームの為に頑張ら
ないといけない。そうなると、皿洗いや新聞配達
は辞めて部活に専念すべき。だけど、辞めたら
彼女(現妻)はどうなる?こんなことを一週間考え、
私が出した答えは退部届。監督やチームメート
には野球が嫌いになったと嘘をついて。ただ、
新キャプテンについては指名させていただきま
した。私の野球の青春はここで終わり(^_^;)。
それからというもの20歳代後半までは、野球部
に復帰する夢ばかり見ていました。このことは、
過去にブログで紹介したような気がしますが。
なぜ、またご紹介したかというと。本日、同級生
と久しぶりに飲む機会が。その同級生というのは、
当時、私が監督に新キャプテンとして指名した
同級生。結局、私が退部したことにより、その
同級生がキャプテンに。その同級生は、私と同じ
ように少年団の指導に携わり。そして、指導する
内容も考えも私と全く一緒。野球が上手下手では
なく、将来、人を想える大人になるようにと。
職場でも信念を持って頑張っているようで。
たくさんの話を聞かせてもらい、29年前の判断
が間違っていなかったことを確信させていただき
ました。今更ですが、私が野球部を抜けてから
苦労したことや当時のチーム内の愚痴等を聞かせ
てもらい。私的には、ただただ、辞めてしまいご
めんねと。太助がいれば、甲子園も行けたかも。
太助より頑張る奴はいなかったとお褒めの言葉ま
でいただき。確かにあのメンバーがまとまれば
甲子園もあったかも。しかし、そんなことより、
現在、同じ気持ちで全くブレることなく何事にも
全力で頑張っているキャプテンと語り合えた今夜は
最高でした。なんつぁならん。29年前の判断。その
結果は今、あらゆる形で。ありがとうキャプテン。