↑平成5年に本市で起きた8・6水害の記録。何度見返しても凄いです。
あの時以降、河川改修等が進みおかげさまで甲突川付近では大きな
水害は起きていません。今日はあの日のことを紹介します。昨日も
あったように当時私は鹿児島工業高校の1年生。野球部所属。その日は
朝から部活の練習。確か非常に暑く、晴天だったと記憶しています。
練習がきつかったのですが、翌日から先輩たちが遠征に行くという事で
ウキウキしていたのを覚えています。練習が終わり、午後から友達が
家に来て遊んでいると雨が。気にせず遊んでいると当時、隣の家に住んで
いた祖母が『雨が凄いよぉ~』。外も確認せずに大声で『大丈夫よ!!』と
大声で返事。暫くして、『たいちゃん~』悲鳴のような声。慌てて外に
飛び出すと、家の周りが川のように。ビックリ。祖母を救助に。祖母の
家の畳はプカプカ浮き上がり、ダンス等が転倒。パニックになっている
祖母を背負い、我が家の2階に。我が家の1階も浸水し始め、電化製品を
2階に運んだり。父も中々、帰ってこれずひとりで必死に頑張りました。
ところでなぜ、家の周りが川のようになったかと言いますと、我が家に
隣接している山崎川の壁の上部が濁流の勢いで決壊。家の周りに大木や
洗濯機等も流れてきました。父も夕方頃にどうにか帰宅。夜になっても
雨は降りやまず。そんな中、たいすけ少年は家を飛び出し、濁流の中を
かきわけ。あの時の感情、はっきりと覚えています。『助けに行かないと』。
道路も想像以上の水量と濁流の勢い。ロープを電柱に巻き付け、人が流れない
ように引っ張ったりしていると、何と奥の方から濁流にのって女性の方が
流されてきて見事キャッチ。その方は周りの人との交流はしない方でした。
あんな時間までひとりで家の中にこもっていたのかとゾッとしましたし、
その時にコミュニティは大事だなと思ったのを記憶しています。雨が
落ち着いてきたのは10時ぐらいだったでしょうか。それから昨日、書いた
ように連日連夜、片付け地獄。滅茶苦茶になった家の中を見て祖母は
泣いてました。昔の人だから、何もかも大事に取っておくタイプでしたので
かなりショックだったと思います。それから祖母の口癖は『何もかも大事に
取っておいたのにぜ~んぶハワイまで流れて行った』と。復興してからは
笑い話にしていました。日本各地で起こっている大水害。被災者の想いを
察すると悲しくなります。今日も大雨に関する報道ばかり。今日も祈ります。
↑は冒頭で紹介した写真集のある1ページ。電柱の横でロープを引っ張っている
のが『たいすけ少年』です。怒った顔をしているのは、本当に怒っていた
からです。こんな時に、目の前で人が流れそうになっているのに写真なんか
とりやがって。何考えてんだ~。手伝え。コノヤロー!!この後、カメラマンに
吠えた『たいすけ少年』でした(^_^;)