厳しい私が大泣き

なんか久しぶりに大泣きしました。スクーター

に乗りながら、嗚咽するぐらい。とても長い

時間。最近、家族ラインでそっけない返信を

していた長男のことが気になっていたので、

個人的にラインをして様子を。やはり、仕事

のことで悩んでいたようです。仕事がキツイ

とか、そんな弱音を吐いてるわけではなく。

ご存じのようにJR東日本に工事部門で就職

させていただいた長男。私が民間にいる時に

よく現場に連れて行きましたが、そんな仕事

のイメージとは全く違うようで。JR東日本は

大企業なので、こちらでいう鹿児島市役所み

たいに工事を発注する側のお仕事。私なんか

現場作業で苦労してきた人間からすれば、贅沢

な立場だなと思うのですが。長男的には、実際、

現場のことを熟知していない者が発注者側で

しかも、現場の監督員として現場の方々に指導

出来なければならない立場なのにという想いの

ようで。矛盾というか自分の無力さに少し迷い

が。いわゆる壁にぶち当たっているようです。

そんな時に近くにいて話を聞いてあげられない

ことが残念というかかわいそうで。長男は一番、

私に鍛えられ巣立っていったのであまり心配は

していないのですが。強かった私でさえ、今振り

返れば、父に相談したり助言をもらったりして

乗り越えてきた一面も。鹿児島に就職したいと

長男は希望していたのに、甘えが出るから県外へ

出て行けと言った立場でありながらラインでつい、

太『東京で頑張り続けるのか?』と。

長男『鹿児島に帰るという選択肢があると』

  『これからもその選択肢に頼ってしまいそう』

  『鹿児島に帰ることは今は考えていない』と。

私も話を振ったのにも関わらず、それは良いと。

その後もラインでのやり取りは続き、

太『こちらでは想像もつかない良い企業なので』

 『頑張るべきと私は思います』

長『会社に恵まれているけど、これに甘える生活ほど』

 『楽しくないものはないね、心を入れ替えます』と。

私が長男と同じ歳の時の動きを伝え、一生懸命働くこと

と、自分の人生なのでご自由に。見極めをしっかりと。

最後に長男から

『自分の人生の甘さを痛感します』

『どうせやるなら若いうちに頑張ったほうが』

『10年間ぐらい人生さぼっていたので取り戻しますわ』。

↑の言葉は、何を表すかと?10年前と言えば、玉江ソフト

で理不尽なぐらいみっちり怒られながらも仲間の為に

頑張り精一杯、生きていた時。それから、中学・高校

でも全国大会に出場はしたものの、やっぱり、玉江

ソフトの時の頑張りや熱い想いには絶対に敵わないとい

うこと。離れた場所でひとりで頑張っている長男に、

何もしてあげられないことが辛くて辛くて。あんなに

厳しかった私がこんなに大泣きするなんて。会って

飲みながら小言を聞いてあげるだけでも。そんなこと

もしてあげられない自分が情けなく。ただただ、ごめん。

仕事で悩むのは頑張っているからこそ。どうかめげずに

頑張ってください。そんなことぐらい乗り越えられる

ように誰よりも厳しく鍛えてきたつもりですから。

とにかく、なんか自分より強く生きている長男。しかも、

考えが少し大人。それなのに何もしてあげられない親

である私。色々な想いがこみ上げ、大泣きした一日で

した。早く会って話がしたいね。お互い頑張りましょう。

 

 

 

Posted in たいすけ日記