市役所(要望対応)~伊敷地域コミュニティ協議会連絡会~下伊敷~市立病院~市役所~市役所工業分会
敬天愛人
本日も鶴岡市のお話。ホテルのロビーに
本市でいえばリビング新聞のような情報
紙みたいなのが置いてあり↓。
なんと、情報紙の名前が敬天愛人(^_^;)。
これまたビックリ。どれだけ西郷愛が強い
の~(^_^;)。みなさんは、南州翁遺訓はご
存じでしょうか?南州翁とは西郷さんの
ことで、西郷さんが話した41の言葉を
当時の旧庄内藩の方々が聞き取りや思い
出しながら作成し本にされたようです。
しかも、西郷さんが亡くなってからは、
新政府が言論統制に力を入れており、
西南戦争の指揮者だった西郷さんの本に
対しては、新政府から異論が出て、文言
修正等を指示されたようですが、断固断
り続け、最終的には原稿のまま発行に
至ったそうです。発行の許可が出てから
は、増刷作業に入り、その本を旧庄内藩
の方々があちらこちらへ自ら配りまくっ
ていたと聞き、これまたビックリ(@_@)。
そのおかげで山形県では西郷さんは神様
のような扱い。今でもそれぞれの地域毎
に、月1回ペースで南州翁遺訓の勉強会
等を開催されているようです。信じられ
ないような話ですが(^_^;)。私たち鹿児島
人よりも西郷さんを想う気持ちが強く、
今でも教えを継承。山形県人は凄いと
思う反面、これでいいのか鹿児島人と。
まだまだ、報告はありますので。
2日目もビックリ、感動~『さつま馳走 舞田』
さてさて、鶴岡市2日目の夜は、鹿児島市
鶴岡市兄妹都市盟約55周年記念式典が宿
泊しているホテルの披露宴会場で開催さ
れ出席。両市の各界から色々な方が参加
され100名以上の規模。今回は特別企画
として、その会場で振舞われる料理を鹿
児島の料理人と鶴岡市の料理人がコラボ
して提供するという企画。それぞれの都
市の食材や郷土料理等が次から次に。会
の終盤にふたりの料理長が舞台に立ち
インタビュー。どちらも40代の料理長
だったのですが、立ち振る舞いも素晴
らしく。特に鹿児島市代表の料理長は。
気のせいか、舞台に立っている鹿児島代
表の料理長が私の方ばかりみているよう
な?なんでだろう?同じ鹿児島出身だか
らかな?だけど、私が鹿児島市議会議員
というのはわからないはず?と思いなが
ら。私的にはとにかく、鹿児島市を代表
する料理人が若者であるというのに感動
し大きな拍手と声援を送っていました。
インタビューが終わり、両料理長が会場
を去り。私は、若きふたりの料理長が考
案した料理を残すのはいけないと思い、
食事していると鶴岡市の職員が慌てて
走ってきて、
職『さっきの鹿児島市代表の料理人が』
職『米山議員を知ってる』と。
太『うっそ~』聞いてビックリ。何度
も私を?と聞き直す。すると、
職『米山議員をずっと応援してます』
職『って言ってますが(^_^;)』
それを聞いて更にビックリ。私は一度
お会いした方のことは中々、忘れない
タイプなので。私の記憶の中では一度
もお会いしたことないはずと。鶴岡市の
職員に連れられて、厨房の方へ。すると、
鹿児島市代表の料理人さんが来てくだっ
さり、
料『ずっと、たいすけさんの事を』
料『応援してます』
太『初めてお会いするよね?なんで?』
すると、私の後輩たちの同級生だそうで
その後輩から私の事をずっと聞かされて
いたようで(^_^;)。それを聞いて更に感
動というかビックリでした。こんなに
凄い方が私の応援をしていてくれたなん
て。後輩たちが私の知らないところで
私の事を伝えてくれていたんて。初日
に続き、鶴岡の地でありえないご縁とい
うか感動に、感謝する2日目の出来事で
した。ちなみに鹿児島市を代表する料理
人は舞田さん。天文館の文化通りのど真
ん中の交差点の角にある天文館グルメス
ターズの2階にある『さつま馳走 舞田』の
店主さんです。是非、お店に行かれてみ
てください。美味しいですよ、本物です。
民間で頑張る若者のためにも頑張らねば。
鶴岡市訪問団出張報告1ビックリだらけ
鹿児島市鶴岡市盟約55周年記念訪問団
としての出張報告を数日間にわたりあ
げさせていただこうと思います。
↑は市内の小学生に配布される副読本。
みなさんもご存じかと思いますが、この
明治初期時代の徳の交わりがきっかけと
なり、本市と鶴岡市が兄弟都市として
交流することに。今回の訪問で山形の
方々の熱烈な歓迎が想像以上でビックリ。
鹿児島人を迎えるおもてなしが半端なく。
それもこれも西郷さんのおかげ。戊辰戦
争。新政府軍と旧幕府軍による内戦で、
旧幕府軍として最期まで戦ったのが庄内
藩(山形)。結局、新政府軍(薩摩藩等)に
降伏。時代が時代ですので、庄内藩の
殿様や武士の方々は、全員切腹等を命じ
られる覚悟でいたところ、そのような
事はなく、藩主の謹慎や武器の没収だけ。
庄内藩の方々は寛大な処分にビックリ。
それを命じたのが西郷さんということで
庄内藩(山形)の方々はその時の恩義を語
り継ぎ、今でも受け継いでいるというよ
うな感じです。個人宅には敬天愛人の
額縁と西郷さんの肖像画がかざってある
ということにもビックリでした(@_@)。
まだまだ、あるのですが今日はこれく
らいに。初日の歓迎夕食会で個人的に
ビックリしたことを。鹿児島市の訪問団
と鶴岡市の市長を含む歓迎団による約40
名ほどの夕食会だったのですが、鶴岡市
で住職をされている方が鶴岡市のロータ
リークラブの代表として出席されており。
その方が私たちの席の対面に来てくださ
り酒を酌み交わし。その時↓。
住職『うちの妻が鹿児島出身なんです』
太『そうなんですね、鹿児島から鶴岡に』
太『鹿児島の方がお嫁さんに凄いですね』
太『ところで鹿児島のどこの出身?』
住職『いちき』
太『へ~、市来なんですね?』
住職『いやいや、違います』
住職『伊敷です』
聞いて飛び上がるぐらいビックリ。
まさか、山形の鶴岡市で『伊敷』と
いうワードが出てくるなんて。奥様
は、伊敷中学校の先輩でした(^_^;)。
しかも、私の従姉の姉ちゃんと同級生。
ビックリと感動でテンション⤴⤴⤴。
こんなことがあるんですね~(^_^;)。
鶴岡市に着いてからずっとビックリ。
まだまだあるのですが初日の話はこの
程度に。二日目の記念式典でも私に
とって、これまたビックリなことが
あったので明日にでも。お楽しみに。
健康が一番~このままで良いのか
いつものことですが、体調を悪くする
と思うのが『やっぱり健康が一番』と。
しかし、今回はこれだけに留まらず。
命の危機を感じたからか歳のせいか。
命を燃やして生きることや世のため
人のために生きているつもりですが
このままで良いのかと。その生き方を
否定するわけではなく、まだまだ足り
ないのではと思うように(-_-;)。今回の
体調不良を経験し、命がいつまで続く
かもわからなく。もっともっとやらな
ければならないのでは?残された命を
どのように使っていくか?等々。体調
が良くなってきてからそんなことを毎
日、考えながら生きている今日この頃
ですがよ~。ちなみに西郷さんは49歳
でお亡くなりになられたようです。私
はもう47歳。あとどのくらい世のため
人のために生きられるのでしょうか(^_^;)。
完全復活~頑張りますよ(*^▽^*)
みなさん、お久しぶりです。今回もあら
ゆる方々からブログが更新されていない
とのことでご連絡をいただき(^_^;)。
大変お待たせしました、すみません。
みなさんの前では明るく振舞い元気な
姿を見せていたつもりですが、実は、
選挙期間中から具合が悪く、それから
というもの体力的にも精神的にもこれ
までの人生の中で一番というぐらい体
調が思わしくない日々が続きました(-_-;)。
今回の衆議院選挙。いつものように
自分の選挙の時よりも頑張り。演説会
の応援弁士、選挙カーやあさかぜ号によ
る街宣、毎朝の辻立ち等。ラスト1週間
というところぐらいから40℃の熱が続
き。幸い熱に強いので、動き回るのには
支障はなかったのですが。ただ、熱が治
まってからも身体が動かないというか。
だけど、みなさんの前では出来るだけ
笑顔で体調が悪いのを感づかれないよう
に。選挙で敗れたり、ある方々の自分の
ことしか考えない行動等に精神的にもま
いり(-_-;)。元気だけが取り柄の私が全く
生きる気力もなくなり、元気がない自分
が歯痒くどん底に。そこまで落ち込んで
いたのですが、先週ぐらいにやっと私ら
しくなってきたような(^_^;)。色々な方々
からのお言葉のおかげで。先週には早速、
山形県の鶴岡市との兄妹都市盟約55周
年記念の訪問団の一員として鶴岡市へ。
西郷隆盛を崇拝している山形の方々から
は熱烈な歓迎をしていただき、元気と勇
気を。おかげさまで今週から完全復活っ
て感じです。今回は、このまま人生も終
わるのだろうなぁというぐらいまで落ち
込んでしまい。とにかく、元気がない自
分が信じられないというか、耐えられな
いというか、申し訳ないというか。苦悩
の日々を過ごしていました。こんなに長
引くのは初めての事でしたがおかげさま
で完全復活です。みなさん、ありがとう
ございました。頑張りますよ~(*^▽^*)。
私のブログはお時間がある時に箸休めで。