卒業文集2

15歳時に書いた20年後の自分。どのような内容だったのか?

思い通りになっているのか?検証したいと思います。↓28年前です。

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当時の同級生は400人以上。改めて読み返すと、ほとんどの同級生が

どのような職業に就いてどうなっているというような内容。現在の

それぞれの職業と比べると、当時希望した職に就いている人は1~2割

ぐらいのようです。思い通りの職業に就いている人はそれぞれ苦労はあった

かと思いますが、どちらかというと成功というか順風満帆のように見えます。

信念が強いのでしょうね、素晴らしいです。さて、私のように家庭的な事を

書いている人は1割も満たないぐらい。その中でもほとんどが女子。平穏な

家庭とか玉の輿を望んでいるとか。男子は数名だけ。当時、中学生だった私は

よっぽど、家庭や家族という環境に飢えていたんでしょうね(-_-;)それでは現在

との比較検証をしていきたいと思います。

『世界一優しい嫁さん』→『世界一天然ボケな嫁さん』

『三人の子供がいたら』→『四人も子供がいるけど・・・(-_-;)』

『家族のために』→『家族の事は顧みず』

『一生懸命働いて』→『一生懸命働いて』

『嫁さんと子達に苦労をかけない』→『苦労ばかりかけて』

『世界一幸せな家庭』→『世界一不幸せな家庭』

このような結果になってます。申し訳ございません。議員に当選させて

いただいたのは34歳の時。その前までは15歳の時に志した家庭目標通り

世界一までとは言えませんが幸せな家庭を築けていたと思います。自信がある

ぐらい誰よりも家族のために働いて頑張っていました。しかし、現在。

議員になり。正直、議員が自分の事や家族の事を優先するのは違うという考え。

一気に苦労ばかりかけて不幸せにしてしまいました。このままでは家庭は壊れて

しまうかもですね。そこで検証結果を反省し、新たな20年後の自分を。

『世界一優しい嫁さん』→『ふくよかな嫁さんもしくは新しい嫁さん』

『三人の子供がいたら』→『四人の子供の孫たちに囲まれ』

『家族のために』→『家族の事も大事にしながら市民のために』

『一生懸命働いて』→『一生懸命働いて』

『嫁さんと子達に苦労をかけない』→『苦労と思わせないよう』

『世界一幸せな家庭』→『下伊敷一幸せな家庭』

今回も実現できるように頑張ります!!

 

 

 

久しぶりの練習試合

卒業文集の20年後の自分をと思いましたが、今日は少年団の話。

本日予定されていた大会に向け、たくさんの助っ人の子供たちに

練習の時からご協力いただき頑張ってきたのですが、コロナの

影響でまさかの大会中止。助っ人の子供たちに申し訳なく、練習

試合を組ませてもらいました。3月以来の対外試合。試合が出来る

ことに喜びを感じ、助っ人の子たちへの感謝でもっと生き生きと

したプレーをするのかと思っていましたが、残念ながら想いが

伝わってこないプレーばかり。たくさんの方のおかげで今日を

迎えることが出来たのにこんなもん?ありがとうや感謝。最近、口では

安易に発しますが、いいのでしょうか?我が子もなんと試合中にトイレに。

中々、帰ってこず。本当にがっかりでした。人数が少なくなり、どう

しようもない状況ですが、何が大事なのか?そのことは子供の為に繋が

るのか?何度も繰り返しますが、今日試合が出来たこと。子供たちの

ためにと言ってきましたが、親が我が子が試合をやっている姿をただ見たい

だけのことだったような。そうでなければ今日のような試合にはならないかと。

各家庭において、子供たちに今日試合が出来ることの有難さをどれだけ

伝えられたのか。結局、私たちの自己満足?久しぶりの練習試合でしたが、

反省と歯がゆさが募るばかり。私の考えは時代に合わないのでそろそろ引退を。

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↑は希望に満ちた出発前。助っ人の子たち、お世話になりありがとうございました。

↑の写真で間違い探し。何か気付きましたか?

卒業文集

先日の断捨離で出てきた懐かしい品の紹介が続くと思いますが、

ご了承ください。今日は私が中学3年生(15歳)の時の卒業文集。

昨日の宿題の件も踏まえ、どんな少年だったのかご想像ください。

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文面は各クラスごとに分かれており、私は3年2組。話は変わりますが、

中学生の時に一番想い出があるクラスは2年生の時。2年5組の仲間たち。

たまにクラス会をするときは2年5組でやります。それでは文集の中身へ。

3年2組のページを開くと、一面にクラス代表が2組の紹介、先生より、

そして、思い出の行事ということで構成されています。その後、ひとり

ひとりの目標。お題は20年後の自分のようです。今、読み返してみると

懐かしかったり面白かったり。今日は3年2組の一面の記事を紹介。

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担任の先生が温厚で優しい先生で向井範男先生でしたので範男さん。

これはクラスの代表が書いたものです。その1~7までありますが。

その1は私の事だそうです。今は歳をとり、あまり元気はありませんが

昔は元気すぎて。正義を貫いていましたね。どんな小中学生だったかと

聞かれると、例えるなら『スーパーマリオがスターを取った時みたい』と。

先輩だろうが悪党どもだろうが全部に向かっていってました。悪いことする

生徒がいたら生徒指導の先生より早く駆け付け、キツイ指導。同級生の

ヤンキーや先輩たちからすればかなりうざかったでしょうね。そんな元気坊

で正義を貫いてきた自分ですが、つい最近は騙され裏切られ。情けないです。

同級生のみんなや先輩方になんか申し訳ないです。こんなざまで。もう一度、

踏ん張って頑張ります。『やられたらやり返す』。どうしても話が脱線(^_^;)。

↓クラスの代表で書かせてもらった思い出の行事。体育大会のことですね。

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現在は、生徒数が減少したので白組と赤組だけですが、当時は白・赤・

青・黄色の4色。黄組との接戦でしたが、私が団長をしていた赤組が

優勝することができました。現在、伊敷中学校のPTA会長を務めさせて

いただいていますが、毎年、卒業文集の依頼があります。最後の文面なんか

見ると、15歳の時と現在。想っていることはあまり変わってないなぁ~。

明日の予告、卒業文集でひとりひとりが書いたたったの3行に込めた20年後の自分。

どんなことを書いていたのか?20年後、果たしてどうなったのか?お楽しみに。

夏休みの宿題

今日は小中学校の出校日。とりあえず、出校日までに出さないと

いけない宿題があるようで、昨晩は次女・次男は大慌て。いつもの

パターン。我が家には4人の子供がいますが誰一人、余裕を持って

宿題を終わらせるような子は全くおりません。次女は徹夜をして、

登校して行ったようです。次男は苦手な作文。作文の書き方というか

アドバイスを。日付が変わる前になんとか終わったようです。昨年も

でしたが、夏休み最終日。自分も寝ないで次女の夏休みの宿題を手伝った

ような。この夏こそはそのようなことがないように、残りの夏休み期間、

子供たちの宿題を日々監視していきたいと思います。

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正座をしながら作文書き。下着ははみだし。何もうまく出来ない次男の

背中の文字に思わず笑ってしまいました。『やればできる』。

我が家には余裕を持って宿題をと書きましたが、そのDNAは私のせいかも。

前もって正直にお話しておきますが、少年団の教え子にも過去に夏休みの宿題を

提出しない子がいて、連帯責任として練習中止にしたこともあります。ですが、

実は私が子供の頃、こう見えて?見ての通り?夏休みの宿題を提出したことが

ないような(^_^;)。提出しないので学校に残されたりするのですが、それでも提出

せず。先生と根気比べ。10月ぐらいになると先生方も諦めるというようなパターン

だったと思います。今のように親がチェックするとかあまりなかったのかも。

やっぱり子がダメなのは親のせいですね。提出するだけでも私よりはマシです。

念のために言っておきますが、現在、市民のみなさんからいただいた要望(宿題)

はちゃんと対応(提出)してますからね。ご安心ください。

4番バッター

今日は議会運営委員会に。終了後、各課へ問い合わせ要望の

相談。午後の早いうちに帰宅。たくさんやらなければいけない

ことがありますが、ふと今日は教え子とゴルフのミニコースに

行こうかと。前にも紹介しましたが、鹿児島工業1年生ゴルフ部。

いつも玉江ソフトの練習のお手伝いに来てくれるので感謝を込めて

一緒にどうかなと思い連絡したところOK。小山田のミニコースに

行きました。ゴルフのお手本を見せてあげようかと思ったのですが

私も久しぶりの事で(^_^;)。何もお手本にはならなかったです。

そんなことより、まさか教え子とこんなに早くゴルフに一緒に行ける

日が来るなんて。指導者として最近、嫌な事ばかり。幸せを感じる

ひとときでした。夜は、もうひとりの卒団生(いつも練習にきてくれる)

も誘って思い出の焼肉屋さんに。昔話に花を咲かせながら楽しい時間を

過ごすことが出来ました。いつもありがとう!!

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とても凛々しい構えですが、まだまだです。また一緒に特訓を。

先日のブログであった『日本一打たない4番バッター』。私が中学生の

時に言われていた言葉。私が監督になり、同じ言葉を浴びせられたのが

↑の子です。この言葉を言われた教え子は、これまで後にも先にもいません。

私の言葉にもめげずに最後まで立派に玉江ソフトの4番バッターを務めて

くれました。そんな教え子が、私にとっての第一号。教え子とゴルフに行く

のは。なんか感慨深いです。私の予想ですが、この子は人生の4番バッター

になることでしょう。期待してます。ゴルフも頑張れ!!また行きましょう。

 

 

議会運営委員会

本物のコミュニティ

今日は朝から要望箇所の現場立会。その後は県管轄の要望が未解決

だったので県議会の議員さんへお願いに県庁へ。鹿児島市郡区の県議会議員

さんは登庁しておられなかったので、また後日お伺いすることになりました。

夜は校区コミュニティ協議会の役員会に出席。コロナ感染がおさまらない状況を

鑑み、今年中の校区行事は全て中止が決まりました。非常に残念です。

毎日のように言ってますが、とにかく暑い(-_-;)昨日の話なんですが、近所に住む

一人暮らしのおばあちゃんがいらっしゃいますが、熱中症で自宅の中で倒れており

救急車で搬送されました。隣に住む母がいつものように漬物やら持って行った

ところ発見されたようです。話によると、救急隊が到着時にはなんと体温が42℃。

夕方、買い物から帰ってきて暑い部屋の中で冷房もつけずにおられたようです。

電気代等はかかりますが、この暑さに対応するには、冷房は一日中つけててもよいか

と思います。高齢者の方は冷房を嫌う方もいらっしゃいますが命には代えられません。

どうか周囲の方々に熱中症対策の呼びかけをお願い致します。それと、改めて地域の

コミュニティが大事だなと。いわゆる近所付き合い。聞くところによると、うちの父は

毎朝、庭を掃くときに隣のおばあちゃんちが電気がついているか確認。夕方は母が

何かを持って伺うというのが日課だそうです。昨日もその行動がなければどうなって

いたことか。両親自身も高齢になり思うように動けなくなっているのに隣のおばあ

ちゃんのことを気にかけながら生活をしている両親。同じ地域の住民として頭が

下がります。これが本物のコミュニティですね。とても大事。我が親ながらあっぱれ!!

 

ホームランボール

今日は3件の要望請け。里道や国有地の件、生活に関わる件でした。

それぞれ所管が異なるので明日中には担当課へ要望に行くようにします。

それにしても暑すぎますね(-_-;)。先日の断捨離で出てきた暑かった時の

思い出の品があったので紹介します。ちょうど28年前の8月、今日のように

暑かった日に行われた中学生活最後の少年野球の大会。スコアは覚えていま

せんが負けたので最後の試合でのホームランボールです↓。

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ちょっとだけ私の野球人生を。私の野球人生のMAXは小学5年生~中学2年生。

必ず先輩たちがいるときからレギュラー。先輩たちよりも打って守って投げる

のは長けていたかと思います。その証拠にというか。小学6年生の時の監督さんが

元プロ野球選手で、その息子さんはPL学園で桑田さんたちとプレーし、当時、

PL学園のコーチもされていました。ある時、私の父に監督さんからいずれPL

学園で頑張らせたいから入学しやすいように中学校を大阪に出させないかという

相談がありました。父は喜んでいましたが、私は即答。行かない。彼女がいるから。

つまらん理由です。それからも好調は止まらず、中学2年生の時も常に上位打線を

任されたりピッチャーをしたり。ですが、練習が誰よりも嫌い。努力もせず勘だけ。

練習は嫌いなくせに打つこと打つこと。今でもなんであんなに打てていたのか

信じられません。そんな感じでしたので間違いなく調子に乗っていました。

そんなたいすけ少年、忘れられない大きな大きな罰が。中学2年生時、先輩たちの

最後の夏の大会で3番バッター。先輩たちの最後なので絶対に勝たせてあげようと

臨んだのですが、まさかの4三振。しかも、すべて得点のチャンスで。先輩たちに

申し訳なく試合終了後から指宿~鹿児島までずっと泣いていました。。そこでやっと

自分の愚かさというか大事なことに気付かされました。それからは誰よりも練習に励み、

努力を重ねましたが、中々以前のようなプレーは出来なくなりました。今に至ります。

この経験は、今の少年団の指導に生かしています。子供たちがなるべく道を間違えない

ようにと。中学3年生の時は、監督に日本一打たない4番バッターと言われ続けました。

ホームランボールの話に戻りますが、そんな状況で迎えた最後の大会。今まで一度も

応援に来れなかった父が作業着のまま初めて応援に。相手ピッチャーは好投手。のちの

実業のエース。中学校生活最後の打席。今でもハッキリと覚えていますがボールがスロー

モーションのように見え。バットを思いきり振り抜いた打球は遥か彼方へ。当時、生活が

苦しく毎日働き続け、試合を見ることもなかった父に贈ったホームランボールでした。

 

市議会だより

今日は楽しみにしていた議会改革推進広報WGに出席。市議会だよりを

より多くの市民に読んでいただく為の広報WG.そもそもの必要性から

どのようにして興味を引くか等、議員それぞれからたくさんの意見が飛び

交い、充実した会議となりました。確実に市議会だよりがより良く変わっていく

ものと信じていますし楽しみでもあります。個人的には、なぜ市民のみなさんに

あまり読まれないのか、市民の率直な声を聴く調査やアンケートを実施したうえで

紙面構成していくべきかと。そうでないと、私達議員の感覚だけで作成すると

ただの自己満足の広報紙になってしまい、今回の広報WGの目的が達成されないと

思うのですが。市議会だよりは年に4回発行。年間経費、約1,700万円も。これだけの

費用がかかっている現状。なんとしても読まれる市議会だよりにしなければなりません。

今後とも忌憚なき、ご意見を賜わりますようお願い申し上げます。

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議会改革推進広報WG