私が通告書作成で苦戦している間に小学校の持久走大会が開催。
教え子達がいるのでいつもなら応援に行くのですが、全く行けず(-_-;)。
妻から教え子達の結果の速報が。最後に次男坊の結果と写真が家族ラインに。
みんなそれぞれ頑張っていたようなので、夕方のティーの練習の時には
肉まんとあったかい飲み物で乾杯をしてミニのお疲れさん会。それぞれ、
昨年より結果が良かったということで私としては嬉しかったです。そうそう
我が家の子供たちはこれまで持久走大会では上位入賞。学年で10位以内は
あたり前。長男・長女は学年で3~4位、次女は1位が最高記録。それでも
あまり喜ばない私。私自身が玉江小・伊敷中時代は学年で1番だったので。
次男坊だけはこれまで10以内の入賞はなし。何かにつけて残念です。ところで
今回の結果は6位。まだまだです。帰ってきてから知らないふりしてわざと
太『持久走大会は何番だったのよ?』きつめの口調で
次『6番』と答える。恐る恐る(-_-;)
太『はぁ?6番か。兄ちゃん姉ちゃん達はもっと凄かったぞ!!』
太『お前は根性が足りないんだって!!』今時、流行らないセリフ(^_^;)。
次男坊の顔が引きつり会話終了。しかし、よく考えてみると。私は、
小学5年生~中学3年生までは1位だったのですが、1年→16位、2年→5位、
3年→9位、4年→3位でした(^_^;)。3年生の時の私より結果は〇。申し訳なさ
そうに素振りをしている次男坊を呼び出し、
太『6位だったよね?』、次『はい』下を向いて。
太『俺は3年生の時は9位だった。ごめん、頑張ったなぁ。俺は越された』
次『そうだったの(*^0^*)』一気に表情が変わり。
このようなやり取りでした。お詫びに夜は二人だけで乾杯をしに(^_^;)。
太『今回は頑張ったけど、俺は4年生の時は3番だから。もっと頑張れ!!』
と𠮟咤激励しながら次男坊の大好物をいただきました。さて、家族ラインで
問題視されたのは持久走の結果ではなく、妻が送信した写真。これ↓↓↓。
長女『この帽子は何?どうしたの?』。妻『わからん(^_^;)。見つけやすかったよ』。
訳の分からないことをする次男坊にこの帽子は何よと聞いたところ、知らないと(^_^;)。
また私の学生時代を思い出しました。中学一年生の時の体育の授業でのこと。
当時の体育の先生は恐ろしい方ばかり(^_^;)。みんな行動もピシャっと。
先生『前~習い、なおれ。座れ』。体育座りをしていると、前のほうから一番恐い体育の
先生が顔を真っ赤にしながら歩いてくる。心の中で誰よ、怒らすなよと思いながら見て
いると。んっ、なんか、なんか。私をめがけて歩いてくるような。案の定、私の目の前に
仁王立ち。顔を真っ赤にした先生が、
先『俺をなめてるのかー!!』その声と同時にピーーー。今の時代には合わないのでピー処理。
私的にはビックリ。常にピシャっとしていたのに(*_*;)。先生がいなくなった後に周囲に確認。
太『俺、なんかしたけ?!!』
同『たいちゃん、帽子がこうなってた』。同級生たちが声を揃えて言う。
次男と同様、いつの間にか体育帽子がこんなになっていたようです。
太『早く教えろって!!殺されるかと思ったじゃん(-_-;)』
同『ごめん、気づいたけど間に合わなかった』。
最近、話題がこればかりですみません。恐るべきDNA。