児童通学保護員について。私が、交通誘導している
ところは前任の児童通学保護員の方がお亡くなり
不在に。とても危険な場所なので、急遽、うちの父が
ボランティアで立つことに。しばらく、父が立って
くれていましたが、高齢なので体調不良の日も。と
いうことで、私がボランティアで立つことになりました。
あれからかれこれ8年ぐらい経つでしょうか(^_^;)。
ずっとボランティアでやっていたのですが、鹿児島市の
方針として、各校区に児童通学保護員を2名以上は
設置をしたいということで。やっていることは変わら
ないのですが、数年前に正式な児童通学保護員に。
児童通学保護員になると、月に15,000円ぐらいの
手当と作業中の事故に対する保険が適用されます。
手当をいただくのが嫌で、ずっと児童通学保護員になる
のはお断りしていたのですが、鹿児島市と学校側から
お願いされ。そんな流れできたのですが、一昨年前の
法律改正により、今度は市議会議員が児童通学保護員
になれないことに。つまり、手当や保険適用はなし。
今度は市役所と学校から謝罪の連絡。
市・学校『お願いして児童通学保護員になってもらったのに』
太『そもそも報酬をいただくためにやっていたのではないので』
市『校区内で2名以上の児童通学保護員を目指しているのですが』
市『今のところ、手を挙げてくださる方がおられなくて(-_-;)。』
市『ボランティアになりますが、児童通学保護員が』
市『見つかるまでは交通誘導をしてもらいますか?』
太『もちろん、子どもたちの為にやりますよ(*^▽^*)』
というやり取りがあり、現在に至っておりましたが。
昨日、学校から連絡があり
学『やっと児童通学保護員をしてくださる方がみつかりました』と。
話によると、来週から対応できるとのこと。なんかさみしい気分に。
以前も紹介したように、長年立っていると、子どもたちの
名前を覚えたり、その子がどんどん成長していく姿を見守る
ことも楽しみのひとつ。暑い日も寒い日も大雨の日もあり、
正直、毎朝のことで大変でしたが。子どもたちと顔を合わせ、
顔色を見て様々な声をかけたり。なにより、安全に横断させて
送り届けることを生きがいにやってきたので。ということで
私の交通誘導の任期は、あと数日(^_^;)。悔いのないように
頑張ります。そうそう、私が立たないことで喜ぶ親子も
いるでしょうね?学校で『コメザンアレルギーが』と
言っていたうちの少年団を辞めた子なんかは(*^▽^*)。
↑の写真は、今回のブログとは全く関係なく、最後まで
玉江ソフトをやり遂げ、現在、各面において活躍して
いる高校2年生の教え子たちです。未だに練習のお手伝い
にも来てくれます。今度、聞いてみようかな?
お前たちの頃も『コメザンアレルギーってあった?』と。