6年生の最後の大会や次女の入試も
終わり、気が抜けそうな感じですが
そうは言ってられず。約1か月後には
県議会選挙、3月末には少年団の九州
大会等、走り続けないといけない日々。
走り続けると言えば、昨日は4年ぶりに
鹿児島マラソンが開催され天候もよく、
大盛況だったようで。県外からのランナー
のみなさんにも鹿児島の街並みを満喫
していただけたのではないでしょうか。
さて、マラソンと言って私にとって忘れ
られないのは、指宿である菜の花マラソン。
20歳になる年に、30歳になる会社の先輩
たちに節目だから一緒に走ろうと誘われて
出場することに(^_^;)。以前にも紹介したか
もしれませんが、小中学校時代の持久走
大会等では学年で一番速かったのですが、
全く長距離を走るのは好きではなく(^_^;)。
しかしながら、先輩に付き合ってあげようと
いうことで初マラソン。会社から計3人で
出場。会社の先輩たちもたくさん応援に。
10キロ地点まで3人で一時間ぐらいかけて、
おしゃべりしながら楽しく指宿の風景を満喫。
しかし、ランナーがあまりにも多く、先輩
たちを見失い(-_-;)。そこから、早く終わらせ
たくてマジ走り。何千人抜いたかというぐらい
の勢いで激走。結局、タイムは3時間30分台
だったような。最初から本気で走ってれば結構、
良いタイムが出たような(^_^;)。話は戻りますが、
応援に来てくれた会社御一行は、他の先輩方が
遅かったので、私がそんなに早くゴールしたと
は思っておらず。手分けして探したようですが。
残念だったのは、みなさんゴールした時に付き添
いの人や家族が待っててくれて抱きかかえてくれ。
私だけが誰も間に合わず、ゴールした後、倒れ
込んだまま(^_^;)。暫くの間、誰もお迎えに来て
くれず。足も限界で起き上がることも出来ずに
死んだように。しかも、Tシャツはまるでパンダ
のような柄に。ゴールして初めて気づいたのです
が、ゼッケンを留める安全ピンで両乳首が擦り切れ、
胸元が血まみれ。本当にビックリするくらい。
ゴールしてどれくらい経ってからでしょう?倒れ込
みながら、血だらけのTシャツを眺め、意識がなく
なりそうになった時に、
『たいすけ~、たいすけ~』とどこからか何人かの
声が。起き上がれないので中々、気付かれず。ある
先輩がやっと見つけ抱きかかえてくれて。天使のよう
に見えました。
『たいすけがいた~』と大声で会社御一行を集め。
死にかけている私を見て、みんな笑いながら
『速すぎて見つけられんかったよぉ~』
私は苦笑い。そして、私のパンダTシャツを見て
今度はみんな大笑い(^_^;)。こんな苦い思い出が
あるので、私はもうマラソンを走ることはないで
しょう(^_^;)。鹿児島マラソンのランナーのみなさん、
携わったボランティアの方々、本当にお疲れ様でした。
そうそう、もし走ることがあるなら乳首には必ず
絆創膏を貼って走ります。パンダTシャツにならない
ように。