今日は朝早くから志布志へ。いつもお世話に
なっている方の実家の草刈りと庭の整地を。
いつものようにダンプにユンボを載せて。
プラス、夏休みということで家の中でゲーム
しかしない次男を連れて。志布志は終日、ほぼ
大雨でびっしょりなりながらの作業でした。
成績の悪い次男には作業を手伝わせ、少しでも
社会勉強を。ユンボにも一緒にのり、操作方法
をレクチャー。成績悪いなら少しでも技術を
身に着けないと生きていけませんよと諭しなが
ら。どこにも連れて行けてませんが、次男に
とっては夏休みの思い出になったことでしょう。
さて、話は変わりますが、昨日は8・6。この
日づけを見ると、なんか落ち着かないというか。
広島ではあの悲惨な原爆が投下された日。また、
本市においては未曽有の風水害があった日。あれ
から今年で30年。私も中学生の時の同級生をこの
8・6で失いました。伊敷地区の土砂崩れで。
今年、初めて聞いたのが、下伊敷でも幼い姉妹が
土砂崩れでなくなったというのは記憶にありま
したが、その時、生き埋めになった子どもたち
の泣き叫ぶ声が聞こえていたにも関わらず、二次
災害の恐れのため、救出せずに現場を離れざるを
得なかったという真実。それを知って、なんか(-_-;)。
その現場を想像すると涙がとまりません。生き埋め
になっている子どもたち、そして、現場にいた方々。
以前紹介しましたが、当時、高校一年生だった私。
ここ周辺の家では、水害で一番被災の度合いが大き
く。そんな中でも人を助けに行かないとと家を
飛び出し、人命救助に向かい、流れてくる人たちを
キャッチ。もし、あの時に私がその土砂崩れの現場
にいたらどうしていただろう。その現場状況を見て
いないのが偉そうなことを言ってはいけませんが、
私は、その子どもたちの泣き叫ぶ声をほっとけただ
ろうか?我が命に関わることかもしれませんが、
やらないで一生後悔するより、目の前の命を救いに
行ったかかもと。色んなことを想像しながらまた
涙がこみ上げ。たくさんの辛い想いを招いた8・6。
私の同級生も生きていれば今年で46歳に。とても
明るい女の子でした。生きていれば、夫婦のこと
や子育てのことを面白おかしく話をしてくれて
いたのだろうと。その幼かった姉妹たちも生きて
いれば30代。本当なら明るい未来が、たくさんの
選択肢が。ご家族の心中を察すると辛いです(-_-;)。
私にできることは、やっぱり頑張ること。亡くなっ
た方々の分まで。そして、語り継ぐこと。生きられ
なかった幼い命があるということを。志布志からの
帰りの車中で次男にもその時の状況や同世代の命が
失われたことを伝え、どう生きるべきか語りながら。
助けることが出来なくてごめんなさい。想像する
だけで涙が止まりません。生きる者の責務を果たし
ていくことがなくなった方々への供養になるかと。
忘れられない8.6。