吉野(要望箇所確認)~吉野区画整理事務所~下伊敷
おかげさまで
今日は朝から後輩の拓真君から要望があり早速、現場へ。
確かに見通しが悪く危ない箇所でした。既に事故も起こって
いるとのこと。吉野区画整理事業内の場所だったので現場確認後、
吉野区画整理事務所へ。何らかの対応はやってくださるとのこと
でした。長年、議員をさせていただいてますがまだまだ知らないことも。
今日、吉野区画整理事務所で初めて知ることもあり、大変勉強に
なりました。対応してくださった吉野区画整理事務所にみなさん
ありがとうございました。そして、要望をしてくれた拓真君にも
感謝です。後輩や知人から要望がくるとなおさら嬉しくて。元気が
でました。みなさん、要望をお待ちしております。そうそう、魚の
名前を調べて教えてくれた美奈子さん、勇君、拓真君ありがとうね。
今日の締めくくりに、学校帰りの少年団の教え子に遭遇。『お疲れさん、
家まで送ってあげるから乗れ』。ニコッとして乗車。短い時間でしたが
昔のように語れる事、とても幸せでした。菜子、頑張れ!!応援してます。
今日もたくさんの方とお話や会うことができ、おかげさまで楽しく幸せな
一日でした。↓のイラストが菜子です。以前、紹介した病気の仲間を元気づける
為に、優勝を成し遂げたメンバーの一員です。熱い心のまま立派になってますよ。

恥を忍んで
金曜日の夜に始まった夜釣り。土曜日の昼に昼釣り。そして、
今朝は4:30に起きて朝釣りへ。昨晩、次男と明日の朝早くに釣りに
行って今日のリベンジをしようと約束。なのに、起こしても起きず。
やっと、目を開けたと思ったら『行かない』(^_^;)。どうしようかと
思いましたが、こんなに行ける時間は中々ないだろうと思い一人で
行くことに。第三の土日曜日は家庭の日ということで少年団活動は
やってはいけないので、今回はたくさん釣りをすることが出来ました。
昨日は家族で行ったのですが、小さい魚しか取れず全部野良猫のエサに。
しかも、ほとんど海中の何かに引っ掛かって何度も糸が切れてしまい、
今朝はエサや小道具を買い揃えるところから。釣具屋さんが24時間営業
しているのには感動。今日は勇君もいなかったので仕掛けというか
小道具をつける順番もあまりわからず、でたらめなまま釣り開始。こんな
付け方で釣りをしていいのだろうかとお隣さんの目を気にしながらでしたが
小魚や20㎝ぐらいのチヌ?が釣れました。釣れると周りの皆さんが見るので
恥ずかしく、今日はもうやめようと最後のスローイン。片付けながら竿先を
見ているとピクピク。竿を握ったら、さっきのチヌとは違い、引っ張る勢いが
凄い。早く引くと魚がばれると勇君に教わったので、ゆっくりゆっくり。
捲けば捲くほど竿先がチョー曲がり、周囲の目が気になり始めているところに
隣の隣(まあまあ離れているところ)の親子連れの小さい男の子が
『お父さん見て、凄く引いてるよ』。なんと私が周りに気づかれないように
大事に大事に捲いているのに気付き、両隣の注目の的に。両隣ともどうみても
釣りのベテラン。もし、釣れた時はなんて思われるのだろうかと頭をよぎる。
『なんだこの仕掛けは?』等。恥ずかしくなりちょっとだけ捲くスピードを
早めてしまった時に魚がばれてしましました。周りの方々は落胆。中々、簡単
には捲けなかったのでかなり大物だったと思うのですが、自分は正直、ホッと
しました。周りの注目がなくなったすきに、でたらめ竿をさっと片付け撤収。
一時の恥を優先した自分。これで良かったのか?それとも釣りあげて、家族に
大きな魚を食べさせるべきだっか?。そんなことを考えながら帰宅。早速、
魚をさばいて塩焼きに。裏切り次男に食べさせると『めっちゃ美味しい』。
確かに脂がのっていておいしそうでした。やっぱり恥を忍んで釣りあげる
べきでした。間違いなく『逃がした魚は大きい』かったです。勇君、どうか
また一緒に連れて行ってください。今度はしっかりと覚えますので。

↑ところでこれはチヌですよね?食べていいのですよね?
もう次男が食べちゃいましたが。
思い出の伊敷G
久しぶりに鹿児島工業高校のグラウンドを眺めてました。


↑私たち工業生は伊敷グラウンド(伊敷G)と呼んでいました。
この場所はかなり鍛えられた思い出の場所。野球部に入部してから
7月ぐらいまで毎日10km走、その後は腕立て、腹筋、バービージャンプ
を5セット。毎日が死に物狂い。誰かが何か手を抜いたりすると
連帯責任で空気イスとか。今の世の中では信じられないくらいハード
でしたね。個人的におかいしいだろうと思っていたのは給水の件。1年生
は水を飲むことは許されず、2,3年生は飲んでいいだなんて。おかしな
ルール。練習中、先輩方が蛇口をいっぱいひねり大量の水を頭からかぶり
ながら水を飲む光景は今でも目に焼き付いています。汚い話ですが、自分は
生き延びるためにトイレの水を飲んでました。自分が2年生になったときには
3年生の目を盗み、ホースを1年生のところに引っ張って飲ませてあげてました。
今の子供たちを見る限り、そんなことはなさそうでホッとします。私たちの頃は
手前にプール、そこが今ではハンドボールコートに。野球部の施設も充実しており
屋根付きのピッチング場やバッティングマシンも数台。思いきり打てるようにネット
の仕切りまで。自分たちの頃に比べるとかなり贅沢になっていますので野球部の
後輩のみなさんは頑張ってくださいね。奥の方には私が大好きだった西高がありま
したが、今は跡形もなく。女子高校のグラウンドになっております。( ノД`)シクシク…
伊敷Gからネット越しに見える西高生徒、忘れられない思い出の1ページです。
夜釣り
今日も朝から市役所に行き、あっちこっち。最後に玉江ソフト練習
パターン。しかし、今日は帰宅後、すぐに着替えてなんと夜釣りにGO!!
釣りの知識も仕掛けも何もわからない私ですが、いつも助けてくれる
後輩の勇君が一緒に付き合ってくれるという事で急遽、決まりました。
正直、釣りは嫌いだったのですが。その理由として、落ち着きのない私の
性格には合わないこと。もうひとつ、実は若い頃(19歳)に妻と二人で
釣り竿セットを2本買い、麦わら帽子やバケツ、エサ等をバッチリ揃えて
臨んだ初釣りの時の事。先ず、一本目の竿にエサをつけ海にスローイン。
うまくいかず、もう一度やり直そうとリールを巻いていると、テトラに
引っ掛かり。イライラして力尽くで引っ張り上げるとボキッ。若かった
ので力もバリバリ。折れてしまいました。その時までは、笑っていたの
ですが。しょうがないな、もう一本買ってて良かったね。二本目の竿に
エサをつけ、今度こそはと振りかぶり・・・。痛っ。見ると後方の恵に
針がひっかかって。若い私はイライラMAX。早く釣りをしたいのに。
恵から針を外し、離れておけ!!渾身の力を振り絞りスローイン。手ごたえ
ありと思った瞬間、嘘やろ~。今度は竿が折れて、竿ごと海に飛んで
いきました。色々、買い揃えてたったのに2投して終了。もう釣りは
せんど。たった10分ぐらいの嘘のような苦い思い出。あれから何十年。
ここ最近、歳をとったからなのか、心が病んでいるからかわかりませんが
釣りをやりたいと勇君に相談していました。そしたら今日、叶えさせて
くれました。次男やまとも釣りをやりたいと言っていたので一緒に。
全然釣れませんでしたが、黙って釣り竿の先をじっと眺めている自分が
いとおかし。歳をとりすぎたのか、病みが深いのか。次男やまとは私に
似ているので釣りは向かないだろうと思ってましたが、案外、我慢強く
やってました。やまとの意外な一面を発見。勇君、本当にありがとう
ございました。楽しかった~。すっきりしたよ。また、お願いしますね。


↑左はやまとが釣った魚。何かわかりませんが3匹くらい釣りましたよ。
右は私が釣ったんですが、うなぎ?海でうなぎって釣れます?どなたか
この二匹について教えてください。おかげさまで大満足の夜釣りでした。
カツオのタタキ
私の父は誰もが認める料理上手。もともとコックさんも
していたのでどんな食事でも作ります。高校生の時は父の
料理を食べたくて泊りに来る人もたくさんいました。本当に
なんでもおいしく作ってくれるのですが、思い出の品にカツオの
タタキがあります。前にも書いたように私が小学2年生の頃に離婚
した後に、実は二人で枕崎に。伯父が経営するガソリンスタンドに
住み込みで働かせてもらうようになりました。が、そこでの生活は
何とも言えない。例えれば、小公女セーラとかシンデレラみたいな
扱いでした。毎日のように父に早く鹿児島に帰りたいと訴えていました。
おかげで約1年3ヵ月で鹿児島へ戻ることに。短い間でしたが、家での
扱いは辛かったけど、学校は楽しく過ごさせていただき枕崎でもガキ大将の
地位に。三年生の頃には、10人ぐらいの同級生を連れて学校横にある
市役所を突っ切り、商店街を帰るのが恒例でした。話はそれましたが、
枕崎と言えばカツオ。厳しい生活の中で、初めて食べたのがカツオの
タタキでした。どちらかというと生臭いカツオ。ですが、ニンニクやネギ、
ミョウガ、ポン酢であっさりしていて衝撃でした。ふと思い出し、あの
美味しさを子供たちに食べさせたくて、先日、父に注文したところその日の
夕方にはカツオを丸一匹買ってきて調理。本当は藁で焼いたら美味しいの
だけどと言いながら持ってきてくれました。久しぶりに父のカツオのタタキを
食べましたがやっぱり美味しかったです。子供たちも大喜びでした。注文したら
喜んで料理を作ってくれる父。変わらないですね、ありがとう!!


↑は3歳ぐらいですかね。この4,5年後には小公男たいすけに。
しおた≠塩田
車の中での妻との会話。
太『ここら辺が塩田さんのご実家みたいだよ』、
恵『塩田さんって誰』、
太『えっ、何日か前に書いたでしょ?』、『お前、信じられない』、
恵『どこの塩田さん?』
太『いい加減にしろ、県知事のよ』
恵『あ~、選挙の時は平仮名でしおた康一って書いたからわからんかった』。
意味がわからんことを言っておりました。平仮名でも漢字でも変わりませんが。
議員になるとあらゆる観点から物事を見て考え、色々な方の客観的な意見等を
取り入れ事を進めていくのですが、妻の『しおた≠塩田』については理解不能。
今日も家族会議にかけて今後、誰が面倒を見ていくのか議論します。

↑字はまだ汚いですが、次男は成長中。そろそろ妻を追い越すでしょう。
着々と
市内におけるコロナの感染は中心部でのことと思って
いましたが、近隣の店舗でも感染が確認されたようです。
みなさん、誰もがマスクして常に手指の消毒しているよう
なんですが、身近に迫ってきており防ぎようがないような。
子供たちへの感染が広がらないことを祈るばかりです。
今日は要望のあったところの現場立会を伊敷工事事務所の
所長さんにご足労いただきました。なんとか対応してくださる
ようです。その後は別な要望の件で市役所に。それについても
近日中に対応が可能という事でありがたや。まだ、解決に至って
いない案件もありますので、明日もフルで頑張ります。

↑は今日の要望案件のひとつです。着々と市民要望が叶っていく
ことは要望者に限らず、私にとっても楽しみです。

