西田~城山~与次郎~小野~市役所(要望対応)~千日町
あ↷夏休み
ここ最近、マジで要望が多すぎて目が回りそう。
毎日、何件かは解決に至るような感じなんですが、
次から次にビックリするくらい新たな要望が(^_^;)。
いくら苦労しても解決に至り、要望者に喜んで
もらえたときには疲れが吹っ飛びますが、手強く
中々進まない案件も(-_-;)。神経がかなりすり減り
ますが引き続き、邁進してまいります。ところで、
本日は終了式。明日からは、子どもたちにとっては
楽しい夏休み(-_-;)。子どものいる私たちにとっては
あ↷夏休み。何かと忙しい毎日に。なんかゾッとし
ます。毎回のことですが、もっとゾッとするのは次男
坊の通知表(-_-;)。本日も終日要望対応のうえ、最後の
会合も遅くまであり、帰宅したのは21:30頃。それから
通知表を見ようと思いましたが、先に晩飯を食べたほうが
いいかなと。晩飯をいただき一息してからいざ通知表。
先に飯を食べてて正解でした。食べ物が喉を通らなかった
かも(-_-;)。この子は本当に大丈夫なんだろうか?と。もう
遅かったので次男坊と話す時間もなく。明日、次男坊と
ゆっくり語らないとです(-_-;)。忙しいうえに神経はすり減り
ゾッとすることばかり。痩せるはずですね(^_^;)。そうそう、
周辺でもコロナ感染の波が。子どもたちを持つ保護者のみな
さま、あ↷夏休み。お互いに頑張りましょうね(*^▽^*)。
子どものころに、もっと夏休みを大事に満喫しておけば
良かったなぁ~と。45歳になった今頃ですが(^_^;)。
スクーター~良いも悪いも
6月のブログで無電動自転車からスクーターに
昇進した時に、このペースでいけばいずれ新車の
レクサスにと淡く浅はかな妄想を抱いておりまし
たが、残念ながら現在もスクーターのままです。
スクーターは漕がずに爽快と言っておりましたが、
最近は直射日光で暑く、移動するだけで大汗をかく
ぐらい。やっぱり、車がいいですね(^_^;)。ですが、
たまには良いことも。良いことって言っても大した
ことはないですが(^_^;)。先日、市役所に向かう時の
こと。信号待ちをしている時に、ご楼門前のお堀に目
をやると、蓮の花が満開に↓↓↓。
思わず、スクーターに乗ったまま立ち寄り写真を。
きれいな蓮の花を見て感動。花を見て感動している自分
に歳を感じ笑いが(^_^;)。こんな時はスクーターは便利
ですよ(^_^;)しかしながら最近は、ガンガン晴れているの
にいきなり大雨が降りだしびしょ濡れになることも(-_-;)。
しばらくはスクーターのままでしょうから何か楽しみを
見つけながら。レクサスじゃなくていいから早く普通に
車に乗りたい(^_^;)。
夏の高校野球
暑い夏と言えば、夏の高校野球の鹿児島県予選大会。
現高校3年生は、うちの玉江ソフトボールスポーツ
少年団を最後まで卒団したのは5名。現在、それぞれ
の道で活躍。先日、紹介した鹿児島工業の生徒会長は
ゴルフ部。もうひとりの鹿児島工業生は厳しいバドミ
ントン部を最後まで。5名のうち唯一の女子は女子校の
ソフトボール部。そして、残りの2名は今回の夏の高校
野球大会に出場。惜しくも初戦敗退だったようですが、
最後までやり切ったことに教え子ながら拍手を。この
子たちが6年生の時の玉江ソフトは正直、中々勝てず。
しかしながら、ちゃんと玉江ソフトの厳しい練習を乗り
越えつつ、良い伝統をしっかり後輩に受け継いでくれて
いった教え子たち。おかげさまで翌年の玉江ソフトは、
どこにも負けないチームに。保護者や大人はついつい、
強い弱い・勝った負けたに目を向けてしまいますが、
私はそうではないと。子どもたちがひとりひとりどれだけ
成長したか?チームとしてどれだけひとつになれたか?
等が大事かと。このことが、将来立派な大人になるための
糧に。なので、私が楽しみにしているのはこれから(*^▽^*)。
どんな社会人になるのかどんな大人に親になっていくのか?
先日も早速、玉江ソフトの練習のお手伝いにきてくださり。
それぞれ、忙しいとは思いますが、早く、5人揃って顔を
見せにきてくださいね。おじさんは、君たちの成長した
姿を見るのが楽しみなので。それぞれ、就職活動や大学
進学受験があり大変でしょうが、玉江ソフトで培った強い
精神は今から活かされていくことでしょう。あんな厳しい
練習や指導を乗り越えたのだから自信をもって頑張って‼
↑教え子たちがあらゆるメディアに取り上げられました。
喜寿~元気でいてね
先週までの選挙期間中も様々な出来事がありま
したので、順次、お知らせしたいと思います。
7月8日は私の父の誕生日でした。しかも、77歳に。
ということで、家族全員で喜寿祝を開催。本来なら
77歳と言っても現代社会ではバリバリ元気な方ばかり
ですが、うちの父は10年前ぐらいに直腸がんを患い、
同世代の中ではかなり元気なほうだったのですが、それ
からというもの昔のような元気はなく(-_-;)。あんなに
パワフルだった自分の親が元気のない姿を見ると、少し
悲しくなってしまいます。元気はないものの、昔、
料理人をしていたので、今でもしょっちゅう、料理を
作り持ってきてくれます。それがまた、全て美味しく。
私の子どもたちは、じいちゃんの料理で大きくなった
と言っても過言ではありません。うちの妻は大助かり。
さて、私と父の関係はご存じのように、私が小学一年生
の時に離婚して、それからというもの父が私を育てて
くれました。出て行った母が家電等も全部持っていき、
我が家に残ったのは、叩いて映るテレビと布団一組。
高学年になるまで、いつも父に抱き着きながら寝てい
ました。離婚後、私たち親子はド貧乏生活に。小学5年生
の時にあまりにも寒く。たった一万円のこたつセットを
ようやく購入し、二人であったかいこたつで寝るのが
楽しみに。そんな生活をしていたので父との絆というか
想いは強く。しかし、私が、高校一年生の時に今のお母さん
がきてくれて、ばあちゃんの面倒を見てくれることに。
寂しさ故、正直、私の気持ちが父から離れていったことも。
しかし、今は感謝しかありません。少しでも恩を返してい
こうと思っていた矢先、私が議員になってしまい更なる
苦労をかけている現状(-_-;)。どうか、余生を楽しく過ご
してもらい、できるだけ長生きをしてください。親孝行を
させてください。と言っても、私があまり喜ばしてあげる
ことはできないと思うので、私の子どもたちに託したいと
思います。孫の成長を見守りながらいつまでも元気でいてね。
プレゼントの他に孫たちが書いたメッセージを。
喜寿といつおの文字はお手伝いさせていただきました。