常任委員会(建設消防委員会)
3・11
10年前の3月11日。私は宮之城の橋梁現場にいました。現場作業員用の
3時休憩のお茶をコンビニに買いに言っている時に会社の事務員から電話が。
事務員『現場は大丈夫ですか?』
た『えっ?どうしたの?』
事務員『東北のほうで地震があって大変なことに』
た『こちらは全然、大丈夫ですよ』と。それにしてもなんでそんなに
大騒ぎを?現場に帰り、テレビをつけると大地震の状況や津波に街が
のまれていく映像が。衝撃的でした。昨日からテレビで当時の映像が
流れていますが、胸が痛くなります。本日は委員会審査でしたが、
午後2時46分にサイレン。それに合わせ審査を中断し、起立のうえ黙祷。
黙祷中、サイレンの音が被災者の悲痛な叫びにも聞こえ涙が出ました。
現在、コロナ禍で日本中が非日常となってますが、あの震災に遭われた
方々はあれから10年非日常の生活。今朝もテレビ報道の中で被災者の
インタビューがありましたが、『あれからというもの心から笑ったこと
はない』、『あたり前だと思っていたことがあたり前じゃないということ』。
昨日、紹介した武田さんも毎日が復興に向けて真剣勝負。何か出来ることが
あるなら協力してあげたいと改めて想う一日でした。今日もあたり前のことが
あたり前のようにあることに感謝しながら。
武田憲和さん
夕方のニュースを中々、見る機会がないのですがやはり縁がある
のか。映っていたのは私が大好きな武田憲和さん。元鹿児島市土木技師↓。
武田さんとの出会いは、私が民間会社に勤めている時のある市役所の
現場の担当が武田さんでした。当時からとても熱い方で、市の税金を使う
公共事業に対する熱意がバリバリ。公務員にもこんなに熱く仕事をする人
がいるんだなぁというのが第一印象でした。それからというもの何度か
現場の担当に。私はどの現場においても熱意をもって頑張ってきたつもり
ですが、特に武田さんの現場は絶対に恥をかかせない、どこの現場よりも
完璧に作りあげてやるという意気込みで臨んでいました。一緒になって
同じ想いで鹿児島市のまちづくりをすることが幸せでした。私が議員に
なってからも、よくこれからの鹿児島のことについて熱く語り合う日々。
そんな熱い武田さんは自ら志願し、鹿児島市が派遣する石巻市の復興へ。
2012年と2016年に。それからまた本市の建設局職員として頑張っておられた
のですが、石巻市の復興を最後までやり遂げたいという想いで鹿児島市を
退職し、石巻市の職員に。私には内緒でした。最近、市役所で見ないなと
思い他の職員に尋ねると・・・。涙がでました。以前は一民間人と職員、
そして今度は議員と職員という形でこれからの鹿児島を造っていくはず
だったのに(-_-;)。いつ連絡をしようかと迷っていると、昨年の選挙期間中に
私を元気づけるために武田さんから連絡が。当選後も直ぐに。こんな関係。
だから久しぶりに映像ででしたが武田さんに会えて大泣きしました。そして、
単身で石巻市の復興に立ち向かう姿を見て、生きる意義というか生きる原点と
いうか。自分も鹿児島市の為に市民のみなさんの為に頑張っているつもりなん
ですが、武田さんに比べればまだまだですね。武田さん、どうかお身体には気を
つけて。お互いやるだけやって悔いのないように。また逢える日を楽しみに
しております。こんなに熱い鹿児島人がいること、そんな方と一緒に仕事をして
語り合えたこと。武田憲和さんは私の誇りです。
いつまでも
案の定、朝から歯痛がひどく(-_-;)。肩まで激痛。イライラ
しながら市役所へ。市役所につくなり問題が。さらにイライラ。
だけど、昨晩嬉しい報告が2件も。それを思い出し、痛さと
イライラを抑えながら本会議へ臨みました。その前の通勤途中に
玉江小に寄って、校長先生に応援に来ていただいたお礼を。
た『わざわざ応援に来ていただきありがとうございました』。
た『さっかく応援に来ていただいたのに勝てずにすみませんでした』。
校長『見ていてとても感動しましたよ。うちの妻もとても喜んで』。
校長『あの身体と人数で凄いですね。あんな試合が出来るなんて』。
校長『これからも頑張らせてくださいね、応援してます』と。
初めて応援に来ていただいた方にも感動を与えられる試合が出来た
子供たち。半分以上は低学年。そんな子たちがこれまでの先輩方と
同じように出来たことがやっぱり素晴らしいなと校長先生からの
有難いお言葉をいただいて改めて感じる事でした。そうそう、今日は
高校入試初日。これまで玉江ソフトで頑張り、しっかりとチームの
伝統を絶やすことなく、見ている人を感動させてきた教え子たちの合格
を心から祈っております。監督は現団員の子供たち、卒団したすべての
教え子たち。いつまでも忘れることはありません(^_^;)。
余韻のおかげで
昨日の試合後、雨の中で審判。びしょ濡れになり気温も
どんどん低く。震えながら審判をしていました。その影響か
体調が優れないような。多分、昨日の喜びの余韻のおかげで
なんとか耐えております。そんな中、今日も本会議。本会議
終了後は委員会の打合せ。帰宅後に伊敷中PTA運営委員会へ。
終了後、今度は玉江校区コミュニティ協議会に出席するハードな一日。
それぐらいはいつものことなんですが、以前、バレンタインチョコ
のブログの時に歯痛をこらえながらというのがあったと思うの
ですが、なんと虫歯部分が欠けてしまい一日中激痛。歯医者さんに
行きたいのですが、忙しく行けません。今回の痛みはひどい(-_-;)。
昨日の喜びの余韻がどこまで持ってくれるか?それがなければ
今日は体調不良と痛さが気になり最悪な一日になっていたかも。そう
いえば、今朝の目覚ましテレビの占いではふたご座が12位でした。
家に帰ると、子供たち全員がティーバッティングの練習にきており、
昨日はお疲れさん、ありがとうねというとみんな万遍の笑顔。また痛さが
少し引いたような(^_^;)。だけど、明日以降が心配です。
感謝を成長で返した子供たち
本日は今年度最後の県ちび大会。球場当番、審判責任者、
駐車場整理ということで大会が始まる前から大忙し。朝早くに
集合。みんなで郡山へ。団員全員が一番に揃ったのは玉江ソフト
でした。それから作業分担。しかし、コート作りに参加できた大人は
たったの3人(-_-;)。他の球場をみるとそれぞれ大人が10人ぐらい(^_^;)。
どうなるかと思いましたが、私たちには素晴らしい教え子たちが。
教え子たちは手際がよく、おかげさまで一番先に球場が出来たのはうち
のコートでした。しかも、外野のグラウンド整備、ブラシがけまで。
その姿を見てやっぱり凄いなと我が団ながら思いました。いよいよ試合
開始。団員が少ないので応援席も寂しいだろうと思いきや、振り返れば
たくさんの応援団。これまで玉江ソフトに携わった教え子たちや保護者が。
さぁ、今度は子供たちの出番。子供たちには、今日こそはいつもお世話に
なってる指導者、先輩たち、保護者に全力プレーで返そうと。そして、
たくさんの応援団の存在がある事の意味を。これまで玉江ソフトが強い時も
弱い時も関係なく、先輩たちが繋いできた心をひとつに玉江ソフトらしい
胸が熱くなる試合をみんなで頑張ろうと。今日の顔つきはいつもと違うのを
感じました。それは緊張とかではなく、本気でやるという決意の顔。相手の
ピッチャーは私より身体が大きくガッチリタイプ。うちのチームは3年生主体。
4,5年生もこまんちょろばかり(^_^;)。先攻玉江。先頭フォアボール。かなり早い
ピッチャーでしたがすかさず送りバント。それからキャッチャーがポロリした隙を
逃さず3塁へ。バッターはキャプテン。ボールをしっかりと叩きつけ、先制点。
大盛り上がり。守備でも見せ場がたくさん。ノーエラー、ファインプレーの連続。
点数を取られたのは純粋なヒットと私より身体の大きい子の3本のホームラン。結局、
1-8で負けたのですが、最後の最後まで感謝をプレーで返そうとする姿やずっと
仲間たちの為に大きな声を出し、お互いに声をかけあい。正直、負けている感覚が
ないくらい。これってすごいこと。こんな子供たちはどこを探しても見当たりません。
試合終了後、悔しくて涙したのは私。どちらかというと、約束した通り最後まで
諦めずやり抜いた子供たちに感動。負ける試合に慣れていた子供たちが試合が
負けた後に悔し涙まで。感謝を成長で返してくれた素晴らしい子供たちでした。
保護者のみなさんもそれぞれの子供たちの成長に喜びを感じてもらえて(*^▽^*)。
試合には負けてしまいましたが、こんなに感動させてくれる子供たちの親は
幸せですね。やっぱり親が本気で頑張る姿って子供たちに映るんですよね。
そうそう、校長先生夫婦まで応援に来てくださり。試合終了後に一言お話させて
もらえませんかと。『玉江ソフトのみんなが一番声も出て、素晴らしいチーム』と。
試合終了後にいつものように負けをプラスに。おかげさまで、うちは6年生がいな
かったので、来年のこの県ちびに向け新たな目標を持ちスタートを切ることを
誓い、幸せな一日を終えることが出来ました。何度も言いますが、こんなに苦しい
団運営の時に支えてくださった教え子や全てのみなさんに心から感謝です。本当に
おかげさまです。どうかみなさまに幸せあれ(*^▽^*)。
↑試合前のリラックス写真。
↑試合中のピンチにも笑顔。右はキャプテンと私のツーショット。
こんなに小さな身体でたくさんの感動をありがとうございました。
お前ら本当に凄いぜ!!最後の試合にあんなこと出来るなんて(*^▽^*)。
↑今日のお弁当の包装。いつもお心遣いありがとうございます。
中間会長ににんべんを足して仲間を信じて心をひとつに(^_^;)。